気功整体
私が初めてならった手技です。
その前は小さいころから親にここやれ、そこやれといわれながら覚えていった指圧もどきです。すでにそれら幼少からの日々でかなりそれっぽくできるようになっていたとは思いますが、あくまでもこれは戯言。
あるとき私は楽器運びがたいへんで腰に違和感を覚え紹介された整体に行きました。
すでに自分では手から出ているものは知っていましたが、昔のことですのでだれにも言っていませんでした。
でも、先生の手や私の腕やからだを流れまくる何かがあったのでお尋ねしたところ、”うふふこれは気というものだよ””わかるから言うけどそうでない人は怖がるからだまっているんだ”
その先生は数メートル離れていても治療できるし、がんがあっても何もいわずに治してしまっておくそうです。もちろん医師ではないので言うことはいけませんしね。
先生は長野オリンピックで金メダルをとった日本のジャンプチームの選手たちのボディコンディショニングをしていました。
ある日”オリンピックのボランティアでスタッフを増やしたいから手伝ってくれないか?教えてあげるから。”と言われました。
私は2つのことを思いました。私にできるのかな?ボランティアか~。
という二つです。
実際ボランティアしてるときも遠距離でもガソリン代は出ないし、クライアントに当て逃げされるし、もうさんざんだったんで終わるとほっとしたものです。
もちろん修行で知り合った人たちはとてもいい人たちばかりで勉強するときはとても楽しかったです。どちらかというとこんなに先生たちがいるなら私もやってほしいと思ったくらいです。
実際はスキーの深夜の吹雪きの中でのコース整備などで触れないほど体がいたくなったスタッフをケアすることもありました。とてもよろこんでもらえてまさにボランティアの神髄を味わうことができたという経験は大きな収穫でした。触れないほど痛い、そういうときは力で治そうとしてはいけないのです。触れなくてもいいくらい、、。
それが数年たってしばらくしてみたらこれを教えてもらったことについてますます感謝の念が出てきたのです。
そしてそれは年々大きくなるという不思議なものでした。
私が感謝?似合わないな、、、と思うほどです。
相手に奉仕する、相手を思いやる、そういった気持ちを習えたと思います。無言でも心から思うのです。言葉でのきれいごとではありません。
先生も言葉で教えてくれたわけではありません。
会社員だったときは私はだれに言ったわけでもないのに体の不調をだれともなく相談されたり、肩もんで、、とか、言われたものです。
相談だけの人は実はシャイで本当は揉んでもらったり、気を当ててほしかったのかもしれません。
ですが、当時はまだ”気”という言葉ははばかれるものでした。
怖い、なにそれ、おばけ?あっちへ行って!と言う人が多いのです。
私は立場を悪くしたこともあるし、カムアウトして友人をなくしウツになった知人も知っています。
私も現実主義者なので自分がわからないことは信じられないのはわかりますが、私にとっては事実なので怖くもなんともない楽しいツールなのでしたが、、。
それでも私に触ってほしい人は途切れませんでした。
休日にも友人にボランティアで気功整体をしました。
そういう気持ちでいると相手にも伝わるのか義理がわくのかわかりませんがお茶とかランチをごちそうになれるのです。
これが私の施術の報酬の始まりです。
このときはまだ施術を生業にするとは思ってもいなかったころです。
これは適性も多少あるとは思いますがだれでも覚えていくことはできるものだと思います。
これのすごいところは力を使わないことです。
使ってはいけないのです。
力のない人がやるほうが気持ちがよいのです。
それなのに武道の一部なのです。
先生は力自慢の大の若者を軽く突き返していました。
外気功はあんまりよくないんだけど腰をしっかり据えることが大事なんだよっていってました。
自分の力を使わないで自然の力をまわすんだ、、というのは後で習ったクォンタムタッチと似ています。
私は腰を据えて演奏することができるようになって音がよくなったと思っています。また、ボクシングジムの経営をしていた整体の先生にこの人は下半身がえらくしっかりしている、といわれました。
足は速いけど、けして見た目しっかりしていないんですよ。
ふらふらしてるんですけどね。不思議です。
力ほど、はかなく、消えていくものはありません。
思いとエネルギーが大事です。
私は腕力や指の力があるほうなのでいつも力まないように気をつけねばなりません。
力と気の気持ち良さの違いを体験ください。
(ただアロマのときは部位によっては力を使う部分もあります。)
瞑想会、健康気功体操、呼吸法、ときには施術講習会も不定期で開催します。ご参加いただければ幸いです。
---おまけ---時間があったら読んでみてください
気、というもの。氣とも書いたりしますが、めんどうなので”気”にしておきますね。あまり言葉や文字でかっこつけるのは好きじゃないんです。
異論のある方、ご容赦ください。
私がはじめてそれに気が付いたのはたしか月をみているときでした。
だれかに習ったものではありません。
自然と気が付きました。
小さいころ私は病弱で何度も死にかけていたそうです。
小学校に上がってからはチョー元気で小中は皆勤でした。
運動も結構できました。
とうか親が死にそうなわたしから比べるとひっくり返っても、大やけどをしても、38度あっても死にそうに見えないので学校に行かされたのです。
ですのでそのころは太陽にばりばり当たって元気印でした。
しかし成人すると本来の陰な部分がわかるときが出てきたのかもしれません。若者なのに大勢でぎゃーぎゃーできないのです。
しらけたつもりはないのですが、なにかひとごとでした。
まぁ、こういう人は実は結構いますよね。
ということで私は月の力を感じるようになったのです。
いい月の時は月光浴をし、色がへんなときは悪いことがないか心配したものです。
お月見なんてロマンチックないけたかんじかと思うでしょう?
でも月はいけない力の源でもあるという人もいます。
あんまり信心しないで気を付けたほうがいいかもしれませんよ。
しかし私にはそういうカッコつけたものでもなくて普通に自然な日常だったのです。
あるときに手にぼわっときたんです。
夜空がまっくろできれいな月でした。
なんじゃぁああこれは、と心のなかでびっくりです。
だって何の情報も持っていなかったのですもの。
はじめはちょっと怖かったです。
なんというか何もしらないのに生理や夢精がきちゃったような衝撃だと思います。しかも、眼に見えるものではありません。
でも興味のほうが大きくなってしまって気が付いたら大きくすることに熱中していて気が付いたら3時間くらいたっていました。
あっという間の時間でした。
そしてまた月を見、手で気をこねこねしていました。
これは今で考えると瞑想のような感じです。
それに熱中するのでほかに何も考えなくなるのです。
そして時間の経過が早いです。今よりも速かったと思います。
これを私は勝手に瞑想、、迷走、、と言っています。
そして何かを考えると邪念が出るのかわかりませんがそのドラゴンボールのようなものはしゅっと小さくなったり、ふにゃふにゃになってしまったりしてパワーがなくなる感じがします。
そんな感じで日々が過ぎていき、それが気だということもわかりましたが世間には認知されていないのであまり人には言いませんでした。
ただ、当時は覇気という言葉は男性などには理解されているようでこれは今でいうオーラのようなものでしょうか。
私はこれもわかるようになっています。
それはいちいちその人をみているわけではありません。
見るモードのとき以外は、あまり意識していませんがいきなりぶわっと入ってくることもあります。
よくあっているひとなのに、今日はなんだか違うな、だいぶ遠くから押してるな、と感じるわけです。押す、という言葉は最適ではないのですが一応そのように表現しておきます。
だから初めて会ったひとでも強い人はばんばん感じるので気になって仕方がありません。そんなことよりちゃんと仕事や会話しろって?そうですよね。
あるときはそのぼわっに色を感じさせる人もいました。
オレンジ色だったり、ピンクだったりします。
これがオーラというにはなにかやすっぽいですね。
基本の色というのもあるかもしれませんがオーラというのは好きな色みたいにはっきり1色になるわけではありません。
気は温度や風速のような流れの感じ、幅や太さのような風束のような感じもありますし、重さの違いのような感じもあります。
それが自分の周りやときには体を通っていくのです。
何人かの気を使うヒーラーに施術を受けたことがあります。
この人からこんなやさしいエネルギーが出ているんだ、、と思うこともあれば、なんじゃこりゃみたいのもあります。
春の風のようだったり、高原の風のようだったり、蒸し風呂のようなもわもわした感じだったりいろいろです。
ぼったくりには気を付けましょう。
私のヒーリングはすごいといってホームページで散々書いて、20分ほどで高額な料金をとり、出張費は実費より多くとり、アフターケアをするといいつつ後で連絡するとおめーが悪いんだみたいな飲んだくれ、食いだおれな酒池肉林な人もいます。
私はとても期待したのですが残念なものでした。
たしかにエネルギーはあります。
ただどっかーーんと波動砲のように私のおなかをうんと後ろに突き抜けていってしまいなんのヒーリングもありませんでした。
その人のサイトは逃げ消えました。
他には宗教のように自分の主義を唯一無二のように言い、ほかをすべて理解もしていないし、見てもいないのに否定したり、意見に対して敏感にヒステリーになる人もいました。
こんな感じで私は何度か失敗を繰り返しました。
それで、わかったことは、、。
サイトですごさをアピールしてる人、有名になりたそうな人、わけもなく高額な人、うっとりするようなスピリチュアルなワードの羅列はアウト、、だということです。
これらはすべてビジネスであってお金のためです。
ひどいときは悪いものまでいただいちゃいます。
気を付けましょう。
そして私が知っているすばらしいヒーラーたちはけして、自分からは目立とうとはせず、料金も良心的です。
そして理屈ではなく、感覚で癒してくれます。
ほんとうにヒーリングできる人はわかっているのだと思います。
売名や暴利がいかに自分の魂によくないかを。
自分だけがわかっている、特別な存在であるなんてことは微塵も匂わせません。
有名にならないように気を付けているのかな、と思うほどです。
ただし、芯はしっかり持っています。
きっとあなたの近くにもひっそりといるかもしれません。
身の丈以上のことは言いませんのでなかなかわからないんですよね。
私はどちらかというと現在は肉体労働者なので時間でお金をいただいている感じです。もちろんヒーリングも入れてはいますがそこはあまり言わずにやっています。そこについてお金をたくさんいただくのはやめておこうと少し考えています。もっと効率よくできる人は時間もかけずにさっとやるのでしょうが、私はそうもできません。
でも永年のつらさや不摂生が数時間の1,2万ですべてが解決なんてしたらお医者さんはいりません。そんなできたら魔法使いです。確かに一度でよくなることはありますが、また同じ生活態度や悪くなる原因の姿勢や考え方を取っていれば戻ってきてしまいます。
クマがとれたり顔が小さくなるのも同じです。これくらいなら1回でよくなるけど睡眠不足や深酒していたら同じです。
現代の文明人はいかに無理な生活をしているかということです。
他力に頼ることも必要ですが、一番は自分自身が治りたい、治そうとする心がけです。この心のエネルギーに勝るものはありません。
ダイエットや禁煙に例えればわかりやすいと思います。
そいういう人は少しずつ施術時間が短くなっていきます。
自分を大事にするというのは甘やかすことではないという意味のひとつだと思います。と自分にも言い聞かせながら、、。
逆によくなりにくい人のパターンです。
治せるものならこのつらさをとってみなさいよ、
私はなにをするのもめんどうだからお金を払うからやってよ、、
という感じです。
ただ純粋にこの痛みをとってほしい、リラックスしたい、大事に扱ってほしい、自分にご褒美したい、という人のほうが早くよくなります。
私は相手の痛いところやよくないところ、がわかることがあります。
それは手から一瞬の情報となってきます。
それがそこに蓄積した感情であることや過去の傷のこともあります。
でもこれは言ってはいけません。医師ではないし、病気だとしてもなんだかわかりません。
不用意に恐怖をあおるのは違法です。
でも皮膚の接触で診察よりもずっと長い時間マンツーマンでやっていたらわかるのもわからないでもないです。すごくたくさんの情報が入って来ていて私はその一部のみがわかるだけなのかもしれません。
でも、言ってほしいといわれます。なのでそのときはこちらから聞くのです。
ただ、最初から”どう?私わるいとこない?”って言われてももうその時点でこちらが濁ってしまうので精度がおちます。左脳モードになってしまうということみたいです。
触っていなくてもわかるときもあります。
ここがちゃんと動いてないかもなーって感じです。
”わかるもんなら当ててみろよ”なんて試そうとしたってわかりません。
”がんとかなってない?”なんていわれても人は毎日何千というがん細胞を作り、消しているので答えられません。
私は神様でも医師でもありませんし、法律は守るまじめなタイプです。
ただ、だまってさすったりエネルギーをいれているうちになくなることは感じることは多々あります。
気功のページでこれらを書いてきましたがアロマのときも気は恒に意識して使っています。時間と接触度の高いアロマのほうがわかりやすいです。
お客様ご自身もなにかを感じているときもあるようです。
それは私と同じものを感じていたり、違うように感じていることもあるようです。
え?それなに?私もわかるかな?って聞かれます。
それはわかりません。でも、無理に期待しないことです。
ある日、急に感じるようになった方もおります。
ささやかな期待をして、そのときには忘れていると、あるとき、急にわかるかもしれませんよ。